神田祭

 

神田明神が創建された天平二年(730年)から始まったとされている。当時の記録が全く残されてないので詳しいことは不明である。

江戸時代の神田祭は神輿をはじめ氏子町々より出された山車や附祭、幕府御用の御雇祭といった長蛇の祭礼行列が江戸城内・内郭内へ入り、徳川将軍や御台所(将軍夫人)が上覧し大奥女中たちも見物したところから「天下祭」と呼ばれた。

明治二年(1872年)より五年までは神田祭りは毎年行われたが、それ以降は隔年で行われることとなった。

明治二二年ころを境に、不景気や蜘蛛の巣のように張り巡らされた電線などの影響から山車が出されなくなっていき、神輿の渡御へと変化していく。

司町2丁目の神輿

町会神輿は昭和27年 町会発足の期に「大神輿」「小神輿」「山車」が完成

大神輿
台座は二尺七寸
双重の台座には重厚な欄間造り
前方に「朱雀」 後方に「玄武」
右側面は「白虎」左側面に「青龍」が施され
蕨び手は 金銀の真鍮で「鯉の滝登り」

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